山本寛斎 東京ドームでKANSAIスーパーショー「太陽の船」のイメージ

浅草おかみさん会とは、
浅草商店街のおかみさんたちの会です。

昭和43年に、 浅草商店街のおかみさんたちが町おこしを目的に会を作ったそうです。 平成5年には協同組合となりましたが、
これは全国初めての女性だけの協同組合だったそうです。

商店で働く人たちのために保育所を作ったり、 全国初という観光2階建てバスを走らせたりしました。

そのほか、
浅草サンバカーニバルや浅草ニューオリンズフェスティバルを行ったり、 ロックンロック興業舞台の浅草を誘致したりしました。 また、浅草名物ともなった振袖さんの派遣会社(株)浅草観光振袖学院の旗揚げもしています。

ちなみに、 私が1月2日に山本寛斎さんと会ったとき、
山本寛斎さんの両隣りにいたのが「振袖さん」です。

山本寛斎 東京ドームでKANSAIスーパーショー「太陽の船」のイメージ

浅草って古い町のイメージがありますが、
”浅草っ子”は新し物好きだそうです。

日本最初の映画館ができたのも、浅草。
日本で初めてエレベーターをつけたビルができたのも、浅草。
(12階建ての赤レンガビル「凌雲閣」)

水族館ができたり、サーカスが来たりもしたそうです。
これが明治時代!

そして大正時代には「大正オペラ」や「安来節」がはやり、 音楽と踊りの街になりました。

そかし昭和も戦後になると、
にぎわっていた浅草からだんだん他の町に人々が離れていきました。
それで当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、 浅草をもりあげようとブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案したそうです。
これをきっかけに、浅草の商店連合会が主体となるサンバカーニバルが誕生しました。 さらに浅草観光連盟もカーニバル推進協議会に加わり、 浅草サンバカーニバルは東京下町の夏を代表するお祭りのひとつにまで成長。
現在では、全国からいろんなチームが参加しています。

2007年度の第27回浅草サンバカーニバルは、8月25日(土)です。


また浅草ニューオリンズ・ジャズ・フェスティバルは、
浅草おかみさん会が主体となって始めて、2006年には20回目を迎えています。
ニューオリンズの本場のミュージシャンたちが、8人も来日したそうです。

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なお、浅草以外でも「おかみさん会」が日本各地にあります。
町づくりのためにがんばる女性たちのグループで、 全国に70以上あるそうです。

これらのグループは、全国おかみさん会という大きなグループとしてまとまっています。 ここから浅草おかみさん会、そして浅草と地方のネットワークが始まりました。

東京おかみさん会もありますが、
ニューオリンズ・ジャズin銀座を毎年夏に開いています。


ちなみに浅草おかみさん会会長の冨永照子氏が、 全国おかみさん会の会長です。

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